私は、地元の商業高校を卒業後、八王子にある、自動車整備の専門学校に入学、2年間寮生活をしていました。
その後地元に戻り、自動車修理工場いわゆる町工場に努めました。
7・8年後には中間管理職になって、仕事の仕分けや、車検の受け入れ、完成検査、難しい修理などをしていました。
修理の仕事は好きでしたし、難しい修理などは、特に気合が入るので、原因が分かるまで、絶対に諦めませんでした。
ただ、私の体が、仕事に耐え切れなくなってきました。
原因は、中学時代に柔道部の先輩に、プロレス技をかけられて、背骨を損傷したことで、それからは、ぎっくり腰になりやすくなり、何度もぎっくり腰になりました。
さらに、19歳の時に、バイクで事故を起こして、首の骨がずれてしまったことによります。
事故を起こしたときは痛みが強かったのですが、徐々に回復してきたので大丈夫だと思っていました。
しかし、首や背中の違和感や痛みは残り、それが徐々に、強く出てくるようになりました。
自動車整備の仕事を初めてからは、毎日の仕事で悪化して、週末に治療院に通う、そんな生活になってきました。
その頃から、花粉症の症状も出てくるようになりました。
しかし、一段と症状が悪化してきて、首は痛いし、背中や腰も痛い、力仕事をすると、手や背中がしびれる、そのような状態になってきました。
治療院を次々と変えてみましたが、一向に治る気配は無いばかりか、更に悪化してきました。
首や腰が痛くて夜眠れない、痛みで目が覚めても、痛みとしびれがひどくて、ほんのゆっくりとしか、寝返りをうてない。
そんな状態に何回もなりました。
腰が痛くてしょうがなかったので、少し腰をひねったら、ビシッッ!!というような、とんでもない激痛が、お尻から、右足の後ろ側、更に、足の裏まで走りました。
激痛は収まらず、痛みで、じっとしていることも出来ませんでした。
しばらくして、父親に、鍼の先生の所に、連れて行ってもらいました。
施術が終わって帰る頃には、痛みは全く消えていました。
ぎっくり腰も何度か経験したのですが、その時の、坐骨神経痛の痛みは、あまりに強烈でした。
その後、有名な、整形外科の病院で、MRIを撮ってもらったのですが、先生いわく「異常はありません」です。
それじゃあ、この、痛みや、しびれは、いったい何が原因なんだ?
私の西洋医学への不信感はその時からです。
その後、体の状態は、悪化して、精神的にも疲労して、自動車整備の仕事は、諦めました。
しかし、
私は、整体で起業する!!
そんな、夢が、ありました。
自分の体がまともじゃないのに、整体で人を治すなんて、笑っちゃいますよね。
ただ、私だけではなく、私の家族も、医者通いばかりしている一家でした。
妻は以前から体が弱く、風邪をひいては悪化して、肺炎になり、入院する。
そんな事の繰り返しでした。
長男は、小さい頃から、喘息の症状があり、その後アトピーも発症しました。
次男は、生後しばらくしてから、アトピーを発症して、肺炎で入院したこともありました。
そんな、不健康一家だったので、私は、じぶんよりも、まずは家族を健康にしたい!そんな思いで治療家を目指しました。
しかし、鍼灸師の資格を取るのは大変なので、まずは整体と考えました。
(その頃に今の私の治療の原点となった、先生に出会いました。)
そして、半年間整体の学校に通って分かった事は、こんなレベルじゃ、起業出来ない!!という事でした。
そこで、結局、鍼灸師の資格を取るために、専門学校に3年間通いました。
昼間は、バイトして、夜に学校に行きました。
ご存知だと思うのですが、整体は、民間資格なので、誰でも、今すぐに、整体師になれます。
しかし、鍼灸師は、3年間、専門学校か大学で勉強して始めて、国家試験を受ける資格が出来るのです。
学校に通いながら、鍼灸接骨院で、バイトをして、無事、鍼灸師の資格を取得しました。
その間にカイロプラクティックの勉強もしました。
その後、更に修行を積んでから、ここ藤棚の地に開業致して、今に至ります。
今では、私も家族も昔と比べ物にならないくらい、元気で、症状も軽くなっています。
この、鍼治療幸は、私の家族への愛情の形なのです。
家族に健康でいて欲しいという、強い想いで、鍼治療幸を続けています。
そして、今では、多くの方に、一生お願いします!と、嬉しい言葉をかけてもらっています。
それだけ、責任重大なのですが、その皆様の期待以上の強い想いで、今は毎日施術を続けています。
私は、鍼治療幸に来られる全ての方を、責任を持って施術を致しますので、よろしくお願い致します。
自動車修理工場を辞める時には、既に、妻と子供が二人いたのですが、妻は、一言も文句を言わずに、それからずっと、私を支えてくれています。
ありがとう御座います、感謝しています。